昨今カジュアル化が進み「ビジネスでも、自分らしいおしゃれを楽しみたい」「センスを磨いて、周囲と差をつけたい」世間にはそんな耳ざわりのいい言葉が溢れている。
しかし、スーツを着る際に「おしゃれ」を目指そうとすることは、ビジネスにおける外見戦略を失敗させかねない非常に危険な思考なのだ。
なぜなら、時代の言う「おしゃれ」には客観的な正解がなく、モノトーンを好む者もいれば、原色を好む者もいる。
それは個人の趣味であり、プライベートの私服であれば誰にとやかく言われる筋合いのものではない。
しかしビジネスやフォーマルという「公的な場」に、その私的な価値観を持ち込むことは絶対にお勧めしない。
スーツを着用する場面において求められているのは、あなた個人的なセンスではなく歴史が磨き上げてきた「伝統的な装い」という名の客観的な最適解、つまり「ルール(正解)」内の装いである。
この記事では、流行という名の幻影を追いかける危険性を説き、なぜビスーツにおいて「おしゃれ」を捨てて「正解」を目指さなければならないのか、その真髄を明かす。
無秩序な自由を排し、厳格な規律を味方につける。
そして、ルールを熟知したからこそ可能になる「境界線のキワを攻める戦略」に至るまで、地方のシビアな交渉現場で自分の条件を通すための「真の貫禄の作り方」を徹底解説していく。
目次

おしゃれの価値観は、人によって全く異なる。
モノトーンで落ち着いたシックな配色を好む者もいれば、原色や大ぶりな柄物を多用して個性を表現する者もいる。
それ自体は素晴らしいことであり、プライベートの私服であれば自分の価値観の赴くままにおしゃれを楽しめばいい。
誰にとやかく言われる筋合いのものではないのだ。
しかし私がここで強く警鐘を鳴らしたいのは、私服での好みや価値観をそのまま飛び越えさせてスーツスタイルに持ち込んではならないということである。
■「自己表現」という名の無作法
ビジネスやフォーマルという「公の場」において、私的な好みや色柄のこだわりは時として、単なるノイズ、最悪の場合は「無作法」へと成り下がってしまう。
スーツを着用する場面の多くは、相手から信頼を勝ち取り、交渉を成立させるための空間だ。
そこに「自分はこれが好きだから」と私服の延長線上の感覚を持ち込むことは、相手に対する敬意の欠如を表してしまうこともあるだろう。
私的な「おしゃれ」の境界線を厳格に引き、公の場では歴史が証明してきた「クラシックな正解」に身を委ねること重要である。

また、「おしゃれ」がビジネスに向かないもうひとつの大きな理由は、そこに「流行(トレンド)」が絡むからだ。
少し前まで「最先端のおしゃれ」と持て囃されていた装いが、わずか数年後には「時代遅れの象徴」として冷笑される。
そんな少しの時間経過によって評価がころころ変化する装いに、経営者の貴重な時間と資産を投資すべきではない。
私自身、プライベートの私服であっても、スーツスタイルであっても、流行を追ったことはほとんどないのだ。
服や装いに関する書籍を大量に購入し日々勉強を重ねているが、私の手元にあるのはクラシックで普遍的な、あるいは変化の速度が流行よりも非常にゆっくりとした「伝統的な装い」に関する書籍ばかりである。
時代に流されるおしゃれには、正解がない。
だからこそ我々は、流行ではなく「普遍的な真理」を追求しなければならないのだ。
スーツの選び方の基本について詳しく解説した記事はコチラから。

プライベートの自由とビジネスやフォーマルという公的な場、いわゆるタイドアップ(ネクタイを締める)する場面とでは、明確な境界線を引くべきである。
極端な例を挙げるならば、葬儀に参列する際、「これがおしゃれだから」と言って真っ赤なセーターを着ていく者がいるだろうか。
周囲に笑われ、下手をすれば誰かに厳しく指摘され、その場から追い出されかねない。
スーツを着用する場面において求められているのは、個人の価値観からくる「おしゃれ」ではなく、歴史が磨き上げてきた「クラシックで伝統的な装い」という名の客観的な最適解なのだ。
あらゆるマナー本や伝統的な装いの書物を開けば、スーツスタイルの基本には必ず厳格なルールがあり、明確な「正解」が存在する。
そのルールを完璧に守り切った上で、その枠組みの中で最大限に自分の色(威厳や貫禄)を滲ませる。
これこそが、一流の経営者、ビジネスリーダーたちの上級な装いであるのだ。
補足:タイドアップとは、ネクタイを締める厳格なスーツスタイルのこと。
ネクタイのマナーについて詳しく解説した記事はコチラ。

これは装いだけの話ではない。
私はすべての事柄において「真の自由とは、無秩序な自由の中には無い」と確信している。
昨今、社会問題となっている「表現の自由」という言葉が良い例だ。
表現の自由という権利があるからといって他者を誹謗中傷し、深く傷つけてもいいという権利など、この世のどこにも存在しない。
ルールを無視した自由は、ただの「暴挙」であり「わがまま」である。
ある一定のルールや規律、境界線を正しく理解し、その中で自らを厳格に律しながら精一杯楽しむこと。
そのプロセスの中にこそ、本当の意味での自由が存在するのだ。
スーツスタイルにおいては、伝統的な装いという名の「規律」を味方につけることが非常に重要だと思っている。

先ほどもお伝えした通り、多くのマナー本や伝統的な装いの書物を開けばスーツスタイルの基本には必ず厳格なルールがあり、明確な「正解」が存在する。
だが、これで終わらないのが紳装堂の外見戦略である。
「世のマナー本の多くが教えるのは、減点をされないための『最大公約数の無難な正解』に過ぎず、ルールを守るだけで満足しているだけでは「真面目な優等生」止まりでしかない。
私がここで提示しているのは、減点を極力排除した上で相手に格を示す『攻めの正解』である。
学生時代は真面目一辺倒だけでも良かったかもしれないが、荒波続きの社会において経営者やビジネスリーダーが目指すべきなのは、単に減点をされないための優等生的な誰の記憶にも残らない着こなし方ではない。
ルールという名の絶対的な規律を理解し遵守した上で、光沢で主張するスーツやVゾーンの圧倒的な迫力、クロコダイルの小物、上質なバック、所作など様々な組み合わせによって「威厳、貫禄」を最大限かける変則技が大切なのだ。
スーツスタイルにおいて、いかに周辺小物が重要であるかを詳しく解説した記事はコチラ。
また、威厳を最大限に発揮するためのスーツの黄金比率について詳しく解説した記事はコチラから。
■無作法と威厳を分ける「境界線」
規律を徹底的に熟知し、自らの知恵として消化できてくると「どこまでであれば、無作法(マナー違反)にならずに、圧倒的な威厳へと昇華できるか」という境界線が見えてくる。
紳装堂の記事たちを見ていただければ十二分に熟知していただけるだろう。
その境界線の「キワ」を攻める覚悟を持つこと。
下地となるクラシックな装いが整っているからこそ、そこに忍ばせる少々の「やんちゃ感」が、相手を圧倒させるための強烈な武器に変わるのだ。
ルールを知らずに外すのはただの「だらしなさや無礼」であり、ルールを知った上で外すことこそが、地方のシビアな交渉現場で自分の条件を通すための「真の貫禄」なのだ。
ある一定の規律の中で自らを厳格に律しながら、その枠組みの限界にまで自分の色を叩き込む。
その規律の中にこそ、本当の意味での自由と、他者を圧倒するリーダーの威厳が存在するのである。
もちろん最大限の威厳や貫禄、迫力を出すには数々の所作や落ち着きが含まれる。
威厳貫禄を作る所作などを詳しく解説した記事はコチラから。

境界線のキワを攻め、スーツやVゾーン、小物などにより「ルール内で威厳、貫禄」をかける変則技は、経営者にとって強力な武器である。
しかし、出すことだけが能ではない。
私の過去の記事でも度々触れているようにTPOに合わせることが重要である。
初めて臨む公式なシチュエーション、あるいは特に一切のノイズが許されない絶対的なフォーマルの場などにおいては、自らの色を完全に消し去る「引き算の規律」が求められる。
それらの場には自己主張は一切不要なのだ
押し出すべき時に圧倒的な迫力を表に出し、引くべき時には完璧に引っ込める。
この一分の隙もない「自己統制力(自制心)」があって初めて、ルールのキワで暴れるやんちゃ感は、単なる悪目立ちではなく「高度な経営戦略」として機能するのだ。
タイドアップする場面では「おしゃれ」という曖昧な主観に逃げるのを、今すぐやめることだ。
ビジネスやフォーマルという公的な場において、求められているのは個人のセンスではなく、先人たちが歴史の中で磨き上げてきた「クラシックという名の正解」である。
マナーやルールを完璧に遵守することは、相手の「命(時間)」に対する最上級の敬意の表明である。
しかし、ただ一流の経営者、ビジネスリーダーたちはルールを守るだけの優等生で終わってはならない。
それはではただの「真面目な記憶に残らない装い」の着こなしである。
ビジネスリーダーであるならば、規律という絶対的な土台をしっかりと築いた上で、Vゾーンの迫力や上質な小物によって、境界線の「キワ」を攻めることが大事である。
ルールを知り尽くしているからこそ、無作法にならずに圧倒的な「迫力」をかける変則技が可能になるのだ。
「規律の中にこそ、真の自由がある」そのことを忘れずに無秩序な自己満足を捨て、鉄のルールを味方につけるのだ。
その計算された自律心こそが、地方のシビアな交渉現場において、言葉を発する前から「この男には到底敵わない」と相手に直感させる本物の貫禄を作り上げるのである。