昨今の時計市場、あるいは一部の高級車市場を覆い尽くしているプレミアム価格による高騰。
私はこの現状を、単なるブームなどではなく、時計界の「異常事態」であると強い危機感を抱いている。
本来時計というアイテムは、自分が好きなデザインや機能性、TPOによる使い分け、そしてブランドの長い歴史に対して、敬意を持って対価を支払うべきものだと思っている。
あくまでも絶対的主人はあなた自身なのだ。
しかし、昨今の時計市場では「買った時より高く売れるか」「いくら利益が出るか」という、投機的な売買が非常に多いと聞いている。
その結果、本来その時計を愛し、自身の人生の節目を刻むパートナーとして共に人生を歩もうと願う愛好家が、理不尽な高値に阻まれ、手に取ることすら叶わない現象が実際に起こっているのだ。
もちろん、資産という側面を無視せよとは言わないが、資産性だけに物選びの基準を支配されては、買主が時計側に完全にコントロールされていると言わざるを得ないのではないだろうか。
これではまったくの本末転倒である。
スーツに合う時計のサイズ径について詳しく解説した記事はコチラから。
この記事では、過熱する市場に踊らされず、自らの「美学」を貫きながらも、経営者としていかに賢明に「資産性」というリスク管理と向き合うべきか。
私の実体験から導き出した、威厳と実利の境界線について、その真髄を徹底解説していく。
目次

私は、東京の百貨店などに寄った際、ロレックスなど時計ブランドの正規店の前に長蛇の列ができている光景を見て、本当にこの高額の価格帯の時計を日常で使用し、人生の相棒としようとする方たちが毎日これだけの人数並ぶほどいらっしゃるのだろうかと、いつも疑問に思っている。
なぜなら、時計に限らず、今よりよっぽどモノの値段が安かった、かつ景気も今よりは良かった時代に、高級時計店に毎日毎日大行列をなしている光景など一度も見たことがなったからだ。
一度、機会があれば引き出しなどから10年20年前の時計雑誌や、高級時計を扱う並行店などのカタログを引っ張り出して見てみてほしい。
その時代の貨幣価値を考えてもびっくりするほど安いのだ。
今の時代、聞く話によると、投資的側面だけを考えて好みでもない人気モデルを探し回る方が一部でいらっしゃるようだが、それは私の説く「外見戦略」とは対極にある行為なのだ。
本来時計は、持ち主の個性や考え方が色濃く反映されるものであり、袖口から覗くその顔はその人の美学や価値観を無言で代弁する唯一無二のアイテムである。
しかし、人気があり、今後値上がりするからという理由で選ばれた時計に、本当の意味での愛着や持ち主の気が宿ることはないと思っている。
地方で生き抜くリーダーにとって、最も大切なのは流行を追うことではない。
自分の価値観で「正解」を選びきることこそが、威厳の源泉となるのである。
ここで補足を入れておくが、もちろん潤沢な予算があり、欲しいモデルを無理なく購入できる方には、全く問題ない話であるということをお伝えしておく。

一方で、私は「資産性があるに越したことはない」とも断言する。
ただし、この言葉の意味を決して履き違えてはならない。
これは転売して利益を得るためだけの「投機的な話」ではなく、誰しもいつ何が起こるか分からない世の中で、予期せぬ事態に立たされた際、「自分自身を助けてくれる最後の防波堤」としての資産性だ。
■実体験|私を救ったのは「時計」だった
ここからは、私の実体験を少し交えながら資産性の重要性について解説していく。
かつて私は、自身の仕事の頑張りや、成果の証として、多くの高級時計を所有していた。
しかし、諸般の事情により、手元にあるすべての時計達をいっぺんにではないが、数年にかけて売却しなければならない環境に至った。
これは私にとって、ものすごくショックな出来事であり、いまだに時計たちが夢で出てくることもある。
しかし一方で、そんな環境の中で確かに私を助けてくれたのは、かつて「格と好み」で選び抜いた時計たちが持っていた、確かな市場価値(リセールバリュー)だった。
車などの動産は、一度公道を走れば価値が急落することも珍しくない。
しかし、正しく選ばれた一流の時計は、長年相棒として愛用した後であっても、驚くほど緩やかな値下がりで踏み止まってくれることが多いのだ。
あの時、私の時計達が「即座に現金化できる資産」として機能してくれたおかげで、金銭面で救われた事実があったということを皆様にもお伝えしたい。
経営者にとっての資産性とは、単なるステータスなどのものだけではなく、いざという時に自分自身や大切な人を守り抜くための、究極の「リスク管理」でもあるのだ。
■ 異常値に惑わされない視点|「右肩上がり」という幻想を捨てよ
ただし、資産性という側面を語る上で、経営者として肝に銘じておくべき冷徹な事実がある。
それは、「相場が上がり続けることなど、この世には絶対にあり得ない」ということだ。
昨今の異常なプレミアム価格の高騰は、長い時計の歴史から見れば明らかに「異常値」であり、この過熱した数字を「正解」だと誤認し、それを前提に将来の価値を大きく見積もることは、経営者として極めて危険な判断だと言わざるを得ない行為だ。
■「本来は中古品である」という原点
また、大前提として、一度でも腕に巻いた時計は「中古品」である。
工業製品である以上、本来は買った瞬間に価値が下がるのが道理だろう。
買った時の値段よりも価値が上がる、あるいは同等で売れるといった事象は、ごく一部のブランドの、限られた状況下でしか起こり得ない「例外中の例外」なのであることを忘れてはならないのだ。
この例外を「常識」だと履き違え、投機的な高揚感に身を任せてはならない。
バブルが弾け、市場が本来の姿(中古品としての適正価格)に戻ったとしても、なお自分を支えてくれる「底堅い価値」はどこにあるのかを見極めることは重要になってくる。
自分の時計を過大評価せず、常に「最悪の相場でも、これだけの防波堤にはなる」と低めに見積もっておく。
その慎重で冷徹な計算があって初めて、時計はあなたの心に本当の「余裕」をもたらすのである。

資産性という合理的なリスク管理を理解した上で、経営者が最後に直面するのが「価格との向き合い方」であるだろう。
ここでしっかりとした判断ができなければ、せっかくの装備もただの「重荷」に成り下がってしまうのだ。
■ 威厳を飲み込む「無理な装飾」の危うさ|主人は誰か
いかに資産価値が高く、数世紀の歴史を背負う名品であったとしても、それがあなたの家計や生活を圧迫するほどの「無理な買い物」であってはならない。
リーダーが最も警戒すべきは、「時計の輝きに、自分自身が飲み込まれてしまうこと」だ。
支払いに追われ、心に余裕がなくなれば、その焦燥感は必ずあなたの言動や所作、佇まい、雰囲気に滲み出てくるだろう。
時計という「道具」に振り回され、分不相応な輝きに自分自身が飲み込まれている姿は、見る者に「背伸びした未熟さ」を直感させ、積み上げてきた威厳を根底から損なう結果を招くのだ。

私は、時計を選ぶ際に「何が何でも新品でなければならない」というこだわりは持っていない。
むしろ、合理性と審美眼を働かせるならば、「中古品」や「アンティーク」という選択肢は、極めて賢明な戦略になり得ると考えている。
■素材のグレードアップと「本質」への到達
中古市場に目を向ければ、新品では到底手が届かないような憧れのモデルが、現実的な価格で手に入る。
同じ予算であっても、新品のステンレスモデルを選ぶのか、それとも中古で素材を一段上げた金無垢やプラチナモデルを手に入れるのか。
後者を選ぶことは、単なる節約ではなく、「限られた資本で最大の格(資産性)を手に入れる」という、合理的判断でもあるのだ。
■「縁」を大事にするリーダーの感性
また、私は中古品を手にする際、そこに宿る「縁(えん)」を感じるのが非常に好きだ。
多くの時を経て、幾人もの手を渡り、今、自分の手元に辿り着いたという奇跡。
気持ち悪く感じる人もおられるかもしれないが、個人的には人との出会いと同じく、目に見えない強い縁の繋がりを感じさせる。
私自身、アンティークの時計を複数所有してきた経験があるが、それら古い時計が刻んできた「時間という重み」は、新品の輝きにはない、深みのある貫禄を自分に与えてくれた。

しかし、誤解しないでほしい。
私は、単に安価なものや分相応なものだけで守りに入れと言っているのではない。
むしろ、リーダーとしての「多少の無理」には、大いに賛成である。
自分の現在のステージを一段引き上げ、まだ見ぬ「理想の自分」に手をかけるために、あえて高価な時計を纏う。
その重厚な一本を腕に巻いた瞬間、指先にまで伝わる心地よい緊張感は、単なる買い物ではなく、自分の立ち位置をその格にまで引き上げるという、自分自身への「先行投資」であり、自分自身を次のステージへと連れて行くという自分との約束の儀式でもあるのだ。
■「原動力」か、それとも「虚栄」か
その時計にふさわしい人間になろうと、文字通り死に物狂いで仕事に精を出す。
その時、時計はあなたを突き動かす最強の「原動力」となってくれるだろう。
しかし、生活や家計が「首が回らなくなるほどの無理」に手を出したときには、それはもはや戦略ではなく、ただの「見栄」へと変わる。
経営者やリーダー達は、その境界線を冷静に見極めなければならないのだ。
首の回らないほどの無理は、時にあなたの判断を狂わせ、目から自信を奪い、醸し出すオーラを貧相にする。
そんな状態で纏う名品は、もはやあなたの相棒ではなく、自分にとって負担でしかないのだ。

真の威厳とは、手元の一本がいくらであるかという、「価格のものさし」だけで測れるものではない。
その時計を、過度な重荷となることなく、「当然の如く自然に、自らの体の一部(相棒)として使いこなせているか」その主従関係の中にこそ、圧倒的な貫禄が宿るのである。
無理を「力」に変えるのか、それとも「重荷」にするのか。
その境界線を見極める自己統制能力こそが、地方で揺るぎない信頼を勝ち取るリーダーの、真の知性であり、強さの証明となるのである。

次に、資産性がもたらす真の価値とは、決して売却した瞬間だけに得られる「換金性」のことだけの独占的なものではないということを強くお伝えしたおい。
実は、資産性の価値とは「身につけている最中」にも発揮されていると私は感じている。
なんのこっちゃと思われる方もいらっしゃるかと思うが、事実、心のどこか片隅に「いざとなれば、この一本が自分自身や大切な人を守る最後の防波堤になってくれる」という、静かな覚悟があるだけで、経営者の内面には、何物にも代えがたい「余裕」が生まれる。
この少しの「余裕」こそが、ビジネスという名の戦いの場において、あなたの最大の武器となるのだ。
■「がっつかない」姿に、相手は格を見る
商談や交渉の緊迫した場面において、この精神的な余裕は、あなたの振る舞いを劇的に変える。
自分には「最後の防波堤」があるという強さが、あなたの背筋を伸ばし、視線を安定させ、言葉に揺るぎない重みを宿らせるのだ。
こういった心の中の少しの余裕が、商談や交渉の場において、相手に媚びることなく、足元を見られて無理な条件を飲まずに、先の未来を救ってくれることがあると、自分の経験上からも痛感している。
■資産性は「精神の担保」である
資産性という価値は、心の余裕という精神的な自由を担保するためにも存在しているのだ。
その余裕から放たれる言葉や、ふとした瞬間に漂う落ち着き。
資産性という価値は、売る時だけのためにあるのではなく、「いざという時は売ればいい。最後の防波堤が私にはある」という精神的な強さを担保するためにもあるのだ。
その余裕から放たれる言葉こそが、地方のビジネスシーンにおいて不動の信頼を勝ち取る力になってくれるだろう。

最後に時計に資産性を求めるならば、同時に避けては通れないポイントがある。
それは、日々のメンテナンスやオーバーホールといった日々の管理である。
それこそ、いざという時に蓋を開けてみると、ムーブメントが壊れていましたということでは「防波堤」としての役割を果たせないのだ。
■何事も普段からの「整え」が大事
時計を購入した際の箱や保証書を、新品同様の状態で保管しているだろうか。
また数年に一度、数万円から十数万円のコストをかけてオーバーホール(分解掃除)を行っているだろうか。
こうしたメンテナンスコストを「無駄な出費」だと感じるのであれば、資産性のある時計を維持していくことは困難である。
箱や保証書(ギャランティー)を紛失したり、メンテナンスをせずに機械の悲鳴を無視して使い続ける。
そんな「整え」を放棄してしまっては、いざ窮地に立たされた時、時計自体が持つ資産性を自ら落とすことになるのだ。
資産価値とは、日々の管理能力に対する「最終的な評価」そのものだと言えるだろう。
資産性だけに振り回されてはならない。
しかし、資産性を軽視してもいけない。
あくまでも、絶対的主人はあなた自身だということは忘れてはならない。
大前提として時計とは、あなたが人生の苦楽を共にするパートナーとして、心から「本当に身につけたい」と思える一本を選ぶことが重要だ。
流行を追う投機家ではなく、一人の愛好家として。
そして、いかなる荒波にも備えるリスク管理のプロフェッショナルとして。
身の丈を一段引き上げる適度な緊張感を持ちつつ、経営者としての心の余裕を奪わない絶妙なラインで「相棒」を選ぶこと。
その自己をコントロールする能力こそが、地方で「あの人は、顔つきも手元も格が違う」と言わしめる、真のリーダーの器の証明となるのである。